四国遍路秘帖 | Photo & Essay |
2022年 5月10日〜24日) 松山空港、松山駅→ 伊予平野駅、別格7番出石寺、8十夜ヶ橋→ 11生木地蔵、10興隆寺、壬生川駅→ 12延命寺、18海岸寺、19香西寺、香西寺駅、高松駅→ 17琴平駅、神野寺、満濃池→_15箸蔵寺→箸蔵駅 1大山寺、徳島駅→ 2童学寺、3慈眼寺→ 20大瀧寺→ 15箸蔵寺→ 14椿堂、13仙龍寺→ 16萩原寺、75善通寺→ 5大善寺→ 31竹林寺、牧野植物園→高知城、高知駅…… |
JR予讃線・伊予平野駅から歩き始める。別格7番札所出石寺(しゅっせきじ)へ行くバスはない。天気はあいにくの小雨。歩き遍路の地蔵越コースと、車遍路の瀬田道コースがあるが、天気も良くないし、どちらにするか分岐点に着くまで決めかねていた。でも、分かれ道に来てみれば、あっさりと山道の地蔵越コースを選んでいた。別格歩き遍路の初日なのだし、当然といえば当然のことか。 登山道は曲がりくねった道路を何回か突き抜けてショートカットするように進むが、そのつど道標が立てられていて、迷うことはなかった。だが、順調に登れたことで、かえって後々大変なことになってしまったのだが…。 出石寺は愛媛県の大洲市と八幡浜市の境に位置する出石山(標高812m)の頂上付近にある。伊予平野駅は午前10時半頃の出発になってしまった。というのは、前日の夜、格安航空ジェットスターで松山空港入りしたのだが、今夜の泊まりは松山駅前のビジネスホテル。久々の旅行とあって、前々から気になっていた松山駅前の酒場、その名も「愛媛大衆酒場」に入ったところ、隣のお客さんと盛り上がり、チョット飲み過ぎてしまった。結局、朝5時台の電車で行こうと考えていたのに、8時台の電車になってしまった。というわけで、出石寺の本堂にたどり着いたのは、なんと午後3時半頃だった。ふつうの人ならまあ3時間くらいのコースタイムだろうが、5時間である。いくら安全第一とはいえ、時間がかかり過ぎである。 道中、お遍路さんとは1人も会わなかった。この辺は、四国八十八ヶ所の遍路道とは完全に離れている。今回の遍路は、そういった八十八ヶ所の遍路道から離れた別格二十番と呼ばれる霊場をお参りしようというのである。 山道を登り詰めると、突如境内の平地が開ける。右手に巨大な大師立像が迎えてくれる。さらに石段を登って仁王門をくぐると護摩堂がある。これでもかと、また石段があり、本堂と大師堂を参拝して納経。弘法大師御誕生1250年記念として、「特別御朱印」(カラー版)も出ているので、500円出して、いただいた。また、別格の1霊場毎に数珠の珠を1つずつもらって集めるのが人気らしいが、せこい話だが1珠300円なので、全部集めると、×19(+親球¥500)で結構な金額になる。さらに数珠に仕立てるのに専門店に出すので、何某かのお金がかかる。だから、やめにした。 出石山に夕方の霧が流れてきた。雨はやんだが、山の中には夕闇が迫っていた。寺を出たのは、4時を過ぎていた。より安全で確実な方法として、同じ道を下山することにした。道路をショートカットする場所では、注意深く道標を見て下った。下ったつもりだった。が、小1時間も歩いたところで、何かおかしいぞと気がついた。見覚えのない道を歩いている。さっきから舗装道路ばかりを下っている。遍路の道標を見かけなくなった。これはおかしい、明らかにおかしいと思ったとたんに焦りだした。慌てだした。案の定、道を間違えたのだ。さっき登ってきたばかりの道を下ってきたのに、見事に間違えたのだ。 だが、以前とはだいぶ違う方法を覚えた。スマホに向かって、音声検索で「ゲンザイチ チズ」と叫ぶのである。これさえあれば大丈夫と思っていた。地図上の現在地はすぐ分かった。分かるには分かった。だが、とにかく山の中、目印になるもの、人家もなければ、方向も分からない。拡大したり、縮小したり、焦るばかりだ。地図上の道路にポツンと丸い印が示されているだけだ。要するにこれがオレという存在なのか。いや、今はそういうことはどうでもいい。右に行けばいいのか、左に行けばいいのかさえ分からないのだ。ああっー。 夕方になってから、来た山道をまた引き返すことはなかなかできるものではない。だから、とにかく車道を下っていくことにした。たぶん車遍路の瀬田道に出てしまったのだろう、と思った。だが、道は大きく曲がりくねっているし、必ずしも一本道ではない。ショートカットの近道もない。これはヤバイかもしれないと感じた。 しばらく歩くと、山肌にへばりつくように人家が見えた。よかった! ホッとした。人の気配がする。話し声が聞こえる。人がいるぞ。とにかく道をきくことだ。ここがそうかどうかはわからなかったが、下調べのときに地図上で見たことがある「瀬田ダリア園」という古い小さな看板があった。 何度か声をかけると、おばさんと小さな子供が出てきた。道を尋ねると、最初はキョトンとした顔をしていたが親切に教えてくれた。大洲へは、「少し下ったら分かれ道を左へ行き、そしてまた少し行ったら、左の道へ行く」だった。実にわかりやすい説明だった。だが、「少し」がどのくらいの「少し」なのかは、少しもわからなかった。 まあ、その通りに行けばとにかく大洲には着けるだろう。30分も歩くと、確かに二手に分かれていた。私は教えられた通り左手に進んだ。(写真*1) そして2回目の分かれ道は「少し」どころかすぐだった。だが、左の道は明らかに上っている。ここで、はたと迷った。本当に迷った。下山で道路が上りになるのは知らないとかなり不安になる。 おばさんの言葉を信じるか、オイラの方向感覚を信じるか。へんろみち保存協力会の古い“黄色い表紙の地図”とスマホの地図とガイドブックの役に立たない地図を見比べながら考えたが、どうも確かなことがわからない。なぜだろう。判断がつかないのだ。ついに、“地図の読めない男”になってしまったような感じだった。 山の中の分かれ道で呆然と立ち尽くしていた。もしかしたらオロオロしていたのかもしれない。そこに軽トラが走ってきた。オイラは恥も外聞もなく手を挙げて頭を下げ、道をきいた。道はやはり左だった。軽トラのおじさんは「道は上りになるけど、大洲は左だよ。あとはだいたい道なりだな。右へ行ったら大変なことになるからな。」と教えてくれた。助かった。 おばさんの言った2回目の分かれ道はやはりここだったのだ。だが道路は登るし、曲がりくねってずいぶん遠回りをしている。早めにヘッドランプを出しておくことにした。 この日の日没時刻はだいたい19時頃だ。今、5時半だから、まだ大丈夫、1時間半はある。山の中に入り込まないで、道路を歩き、とにかく明るい内に朝来た広い道路の分岐点までたどり着くことだ。そうすれば、後は何とかなる。スマホなんかいじっている場合じゃない。少しでもさっさと歩いて下ることだ。 だが、道はやたらにくねくね曲がり、大回りばかりしている。かといって傾斜もきつく、舗装道路の下りは足にくる…。ヤバイ! 痙る前兆! 左のふくらはぎが悲鳴をあげ始めた。これはヤバイ! 痙ったら歩けなくなる〜! 以前はポカリスエットが効くなんて聞き、真に受けて飲んだが、全然ダメだったから、今回はちゃんと用意してきた。芍薬甘草湯(しゃくやくかんぞうとう)である。細粒状だがもうめんどくさいから水に溶かさずにそのまま飲んだ。やはり口に残るから、後から水を飲んだ。だましだまし歩いていたら、いつの間にやら治っていた。やっぱり効くんだー! だが、道が長いー! 標高差800m弱の道路を下るのは、やはり楽ではない。 向こう側の山肌にポツンポツンと人家が見えてきた。大洲方面へ行く道を進んでいるとは思っていたが、なんとなく不安になる。「ゲンザイチ」の確認などもうやってる余裕はなくなっていた。薄暗くなると、紙の地図はもちろんだが、スマホの地図も極端に見えにくくなる。体力的にも明らかに限界に近づいている感じがした。惰性で歩いていた。 緩やかなカーブを曲がったら、目の前に2、3軒の人家が見えた。やはりこの辺で道をきいておいたほうが良さそうだなあと思った。そのとき、家の前の斜めの坂道からすーっと軽トラが走ってきた。私は思わす手を挙げた。運転していたおじさんは、びっくりしたように停まった。 私は、毎度おなじみの、見栄も外聞も遠慮も恥じらいもなく、道を尋ねた。 道は間違ってはいなかったが、おじさん、「今日はどこまて行くんだい?」ときいた。 「宿はまだとってないんです。大洲市内まで行けば何とかなりますよね」と、私は我ながら何とも頼りないことを言ってしまった。 おじさんの反応というか対応は速かった。 「送ってってあげるよ。今、ちょうど大洲に帰るところだから。車に乗るかい?」 私はいったんは遠慮して断ったが、おじさんは運転席から降りてくると、さっさと私のザックに手を伸ばした。 「乗ってきな。まだだいぶあるぞ。」 私は、かなり迷ったが、実はほとんど迷わず、「ありがとうございます。」と深々と頭を下げた。 おじさんは私のザックを丁寧に荷台に置いてくれた。 そして、私は助手席に座った。なんともあっさりと、軽トラは滑るように走り出したのである。 車の中で、おじさんは、「いやー、家を出たら、ちょうど目の前に白装束のお遍路が立っているんで、びっくりしたよ。すごい偶然だなあー。」 多分あと10秒違っていたら、会えなかっただろうし、私は車に乗せてもらえなかっただろう。そして、夜道をとぼとぼと歩いていただろう。 ここの家はおじさんの実家だそうで、畑仕事か山仕事を終えて、ちょうど大洲の町の家に帰るところだったそうだ。もう、信じがたいような絶妙なタイミングだったのだ。だが、お遍路をしていると、こういうことはよくある。私の場合は特によくある。 助手席の前には、数枚の納め札が置いてあった。中には緑色のものもあった。 「時々乗せるんだよ。」と、おじさんは言った。私は良い人に出会ったのだと分かった。 「今日は、本当はどこまで行く予定だったんだい?」 「いやー、十夜ヶ橋の橋の下に泊まろうと思っていたのですが…」 「じゃあ、そこまで送っていくよ。」 「いやあー、それは申し訳ないから…。まだ電車も動いてますから、伊予平野駅の近くのどこでもいいですよ。」 おじさんは車のスピードを心なし上げたような感じがした。何度か踏切を渡り、抜け道を走っているようだった。 車に乗せてもらった地点が未だによく分からないので、どのくらいの距離かはっきりしないが、十夜ヶ橋までは十数キロはあるだろう。 おじさんは私より2,3歳若いだけだったが、身のこなしや姿勢がすごく若く見えた。もしかして、またまた、御大師様では? と思って、横顔をしっかり見ておいた。だが、私の知っている御大師様とはタイプが少々異なる優しい顔の人だった。 20分ほど乗っただろうか、十夜ヶ橋の永徳寺に横付けしそうな雰囲気だったので、「買い物もありますから」と言ったら、直前のコンビニで停めてくれた。 私は気持ちばかりのお礼をしようとしたら、絶対に受け取らなかったし、反対に怒られた。私は心から、深くお礼を言った。本当に助けられた。ありがたかった。そのとき、私の心に中には、感謝の思いだけしかなかった。 十夜ヶ橋の橋の下には誰もいなかった。今回で3回目の野宿修行である。 |
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(2022年5月〜更新) |