四国遍路秘帖 Photo & Essay

2021年4〜5月 四国八十八ヶ所遍路 その2  2021年6月〜更新

(つづき)
6日目 国民宿舎古岩屋荘隣バス停東屋→道の駅天空の郷→三坂峠→窪野公園東屋泊

古岩屋 岩峰 【 ふるいわや 】 



愛媛県久万高原町直瀬乙 2021年4月28日・撮影

(約4000万年前に堆積した礫岩層が長い年月の間に侵食され、奇岩怪石の礫岩峰になった。20峰ほどある。)


朝起きると、雨だった。今日のコースは、打ち戻りで、久万高原の道の駅天空の郷まで戻り、三坂峠を越えて、松山市の46番札所浄瑠璃寺方面へ行く。
2日ほど前から宿泊地が一緒になった白髭の歩き遍路さんが、靴の中が濡れて困りませんかと聞いてきた。ボロ靴だからどうしようもないし、我慢してそのまま歩くしかないというと、雨水が靴下がしみこまないようにするビニル製の靴下カバーを、100均だから大丈夫と、私にくれた。始めて使うのだが、早速履いてみた。靴の中が滑るかと思ったら、そんなこともなかった。
彼は、今日は道の駅天空の郷のレストランさんさんで、ランチバイキングを食べるのだ、と意気込んでいた。「おすすめですよ」と言った。白いポンチョを身にまとい、彼は先に出発していった。
この雨だから、私は山道の遍路道ではなく、まだ歩いたことがなかったから県道12号線の道路を下った。そして帰りは少し楽な峠御堂トンネル(623m)を抜けた。歩道部分が狭くてしかも高くなっていないので、かなり危ない。反射板の着いたたすきを掛け、トンネル入口の電気のスイッチを入れ、いざ出陣。幸い大型トラックは1,2台しか来なかったので、助かった。今日は長くなりそうなので、がんばって歩いたつもりだったが、白髭さんには追いつけなかった。
於久万大師の前を通ったので、目の前の高市本舗で名物のおくま饅頭を1個買って食べた。 小さい薄皮饅頭で上品な味の饅頭。手間がかかるのだろうが、はっきり言ってめっちゃ高い。土佐国分寺近くの、でかくて安い山崎商店のへんろ石饅頭と比べると、あまりにも違いすぎて、やはり一言書いておきたくなる。
おくま饅頭を1個しか食べなかったのが良くなかったのか、予定していなかった道の駅のランチバイキングに足が向かった。時間はちょうど11時でバイキングが始まる時刻だった。白髭へんろさんはもう座って食べ始めていた。1番札所からテント担いで歩いてきた身には、これがやはり必要で至福なのだろう。
オイラは隣に座らせてもらった。いろいろ悩んだあげく、イヤシイ系のオイラは、誘惑に負けてバイキングを注文してしまった。1100円でいろいろ食べられるから、確かに安いのだが、もうジジイだし、たくさんは食べられない。
だから、バイキングとか食べ放題というのは、もうやらないことにしている。でも、旅行などに行ったとき、プランで朝食がそうなっているホテルが結構ある。その時は、イヤシイ系としては本当に困る。結局腹一杯食べ、動けなくなる。最悪の場合はお腹が痛くなる。子供と同じだ。困ったものだ。
レストランさんさんのバイキング料理は、種類が多いだけでなく、野菜が多く、塩分控えめな感じで
おいしかった。やはり鳥の唐揚げが一番うまかったなあ。次はデザートかな。
腹ごしらえはできた。後は歩くだけだ。“あれは3年前”、御大師様ミラクルを味わった三坂峠をまた越えるのだ。今日の泊まりは三坂峠より手前の「レストパーク明神」(桧垣桜公園)の東屋でもいいと思っていたが、早く着きすぎた。3時ちょうどだった。これを早いと感じるか、ちょうど良いと思うか、いや遅いと捉えるかは、人によってさまざまだから困る。オイラは早いと感じた。
まあ、そんなことより、ロープこそ張ってないが、「公園内はコロナのため使用禁止、宿泊禁止」と貼り紙があちこちに貼ってあった。まあ、しょうがねえなあ。先へ行こう。まだ早いと感じた人は、平然と先へ行くのである。



遍路ぬいぐるみ 案山子 【 かかし 】 



愛媛県久万高原町明神 2021年4月28日・撮影

向かいの家にもぬいぐるみがあり、その家は「お接待サロン カヨちゃん家」となっていた。
だが、コロナのためお接待は中止で、閉めていた。



三坂道路分岐点  【 みさかどうろ 】 



愛媛県久万高原町東明神 2021年4月28日・撮影



三坂峠 【 みさかとうげ 】 遍路道への分岐点



愛媛県窪野町 2021年4月28日・撮影

歩き遍路道は斜め右へ入る。



久万街道 三坂峠 【 みさかとうげ 】 松山市方面の展望



愛媛県松山市 2021年4月28日・撮影

晴れた日には、はるかに瀬戸内の海が見えるそうだが…




旧遍路宿 坂本屋 【 さかもとや 】 



愛媛県松山市 2021年4月28日・撮影

閉まっていた。「坂本屋のトシちゃん」さんはお元気なのだろうか?



網掛石 【 あみかけいし 】



愛媛県松山市窪野町榎 2021年4月28日・撮影


あみかけ大師堂 【 
網掛石 】 



愛媛県松山市窪野町榎 2021年4月28日・撮影


(つづき)

一緒になった歩きお遍路さんは、そういえば、今夜は遊具のある窪野公園に泊まる予定と言っていたなあ。どの辺なのだろう? へんろみち保存協力会発行のいわゆる「黄色い地図」には載っていなかった。スマホの地図で調べてみたが、どうもよくわからない。網掛石の少し先のようだ。網掛石には5時半に着いた。結局遅くなってしまったなあ。
目の前にあるあみかけ大師堂には電灯の明かりがついていた。一瞬、泊まってもいいですよという合図だと、思い違いして、ここに泊まらせてもらおうかと思って中をのぞいたりした。でも、とんでもない思い込みであり、すでに「夕方の焦り慌て時間の心理状態」に突入していたのだろう。また雨が降ってきた。
窪野公園のすぐ近くまで来ているのはわかったが、道が曲がりくねっていて、おまけにアップダウンがあるので先のようすが見えない。畑仕事を終わって下りてきた軽トラのおじさんに尋ねた。
おじさんは、まず傘を出した。「さしな」と言った。「いや、持ってますから」 「まあ…」と言って渡された。それから、場所を簡単に説明してくれた。だが、私はわかったような、わからないような顔をしていたのだろう、おじさんは、「ついて来な」と、軽トラを走らせ始めた。オイラはその後を傘をさしたまま大急ぎで歩き始めた。
「おじさ〜ん! ちょっと速いよ〜!」 「あとは、道なりだ! 待ってるからな!」 ブーン〜 おじさんは先に行ってしまった。
そうか。歩き遍路への道案内としては、これが一番確実でいいのだな。おじさんはちゃんと知っていたのだ。歩き遍路は絶対に車には乗らないし、道を細かく教えても、疲れ切っていて身体は言うこときかないし、頭になんか何も入らない。だから、「ついて来い」が正解なのだ。緩いカーブを曲がったら、先の方に軽トラが止まっているのが見えた。右手にふつうの公園があった。滑り台などの遊具があった。窪野公園だった。ああ、よかった。
おじさんに傘を返してお礼を言うと、おじさん、「じゃあ、気いつけて〜」と言って、行ってしまった。本当の親切って、こういうことをいうんだな、と思った。いや、三坂峠から坂本屋、窪野町あたりは、古くからの街道筋で、御大師信仰のあついところたという。
公園の東屋の下には、見慣れたテントが張ってあった。
この公園を教えてもらって、そしてたどり着けて、本当に助かった。
雨の夜は話がはずむ。焼酎のお湯割りを飲みながら、いろいろ話した。白髭さんは話し方も動作も、のんびり、おっとりしていて、なんとなく落ち着く人だ。彼はまだ60歳ちょっとだというのに、髭は白いし、なんと入れ歯だった。AI(人工知能)の開発の仕事をしてきたのだそうだ。どうりで、相当身体というか、頭を酷使してきた人のように見えた。これから行く今治が好きで、“終の棲家”を見つけに行くんだそうだ。ビールを飲みながらうれしそうに話した。



窪野公園東屋 【 くぼのこうえん 】 同泊者



愛媛県窪野町甲 2021年4月29日朝・撮影



7日目 窪野公園東屋→46番浄瑠璃寺→47番八坂寺→別格9番文殊院徳盛寺→48番西林寺→49番浄土寺→50番繁多寺→51番石手寺通夜堂泊

今日も雨である。夜半には相当降ったようだった。でも、東屋の下で心配はなかった。“白髭お遍路さん”は、今朝はだいぶゆっくりである。8時ちょっと過ぎに、私のほうが先に出発することになった。歩くペースと泊まる場所が似ているから、いずれまたどこかで会うだろうと思っていた。
今日は、三坂峠の麓の窪野から、松山市内をめざして北上する。御大師様によくしてあげたところには、八十八ヶ所の札所が多いという。この辺も松山市内まで霊場が連続して7つある。
札所の間隔が短いのは歩きやすくていいのだが、お参りに時間がかかる。1ヶ所で30分としても、合計で3時間半かかることになる。
私の場合は、お参りは真面目にちゃんとやる。急いだり、略したりはしない。ゆっくり、じっくり、しつこく拝む。そのために来ているのだから。よく車遍路の人で、ものすごく速い人がいる。お経も早口言葉のようだったり、お寺の中を急ぎ足であっちこっちせかせか歩き回る。人それぞれだから、別にかまわないが、見ていてこちらまでせわしなくなる。あれはうつるのです。
46番札所浄瑠璃寺の前の旅館長珍屋は静かだった。ニコニコ顔の女将さんはお元気なのだろうか?
かつて泊まってお世話になった宿の女将さんやご主人などには、せっかく来たのだから、またお会いしたいという気持ちはあるが、その宿に泊まったり食事したりしなければ、お会いしにくい。いうなれば、そこが野宿遍路の哀しいところだ。
浄瑠璃寺の境内の木々は濡れそぼっていた。

46番浄瑠璃寺  【 じょうるりじ 】 本堂




愛媛県松山市浄瑠璃町 2021年4月29日・撮影



籾大師  【 もみだいし 】 46番浄瑠璃寺



松山市浄瑠璃町 2021年4月29日・撮影

大木は樹齢1000年以上というビャクシン(柏槇)の木。別名イブキ。
海岸などに生える常緑高木で、高さは20mほどになる。



47番八坂寺  【 やさかじ 】 本堂



松山市浄瑠璃町八坂 2021年4月29日・撮影

きれいで、便利で、快適な通夜堂があることで有名だが、今回は時間的にうまく合わなかった。



別格9番 文殊院 徳盛寺  【 もんじゅいん とくせいじ 】



松山市恵原町 2021年4月29日・撮影

衛門三郎の屋敷跡で、菩提寺だそうだ。
このあたりで、本降りになり、ずぶ濡れになってしまった。
納経に行ったら。お坊さんがタオルを2枚もくれた。
荷物が重くなるから1枚は返したが、土地柄今治タオルのようで、とても柔らかかった。
遍路中ずっと使わせてもらい、大変重宝した。



48番西林寺  【 さいりんじ 】 太鼓橋 仁王門



松山市高井町 2021年4月29日・撮影

橋を渡って、お寺に入る。石段を上るのではなく、下りてから仁王門をくぐる。
これを地獄にたとえ、罪あるものはここから奈落に落ちるといわれ、伊予の関所寺になっている。



49番浄土寺  【 じょうどじ 】 仁王門



松山市鷹子町 2021年4月29日・撮影



49番浄土寺  【 じょうどじ 】 左・本堂 右・大師堂



松山市鷹子町 2021年4月29日・撮影




50番繁多寺  はんたじ 】 右・本堂 正面・歓喜天堂



松山市畑寺町 2021年4月29日・撮影


(つづき)

繁多寺は小高い丘の中腹にある。1日の最後に、緩やかでも上り坂が続くのはキツイ。ましてや時間を気にしながらでは、毛の生えた心臓でもよくない。
繁多寺に着いたのは、納経所が閉まる5時直前だった。ぎりぎり間に合った。私は黙って先に納経した。その後お参りした。これは順序が逆で、作法違反だが、まあ、仕方がない。状況に応じて、臨機応変に行動したまでだ。まあ、時間的に切羽詰まっていたのだ。
繁多寺を出たのは5時半を回っていただろう。次の札所51番石手寺までは2.8km、45分くらいはかかる。この時間になっても、泊まる場所を決めてないのは本当によくない。だが、私はあまり焦っても、慌ててもいなかった。気持ちは落ち着いていた。これからは町の中に入っていくし、道後温泉がある。宿もコンビニもたくさんある。何とかなるだろうと思っていた。
1週間も野宿を続けてくると、なんとなく、なんとかなると思えてくるから不思議だ。雨が上がったから、石手川の河川敷公園でもいいと思って、歩きながら偵察した。東屋はあったが、雨に濡れた草むらを見たら、ちょっと勘弁して欲しくなった。

今日は、まだ15kmくらいしか歩いていない。だが、足だけでなく体全体が疲れているような感じがした。でも、私はまだ、もっと歩こうとしている。なぜだ。どこへ行こうとしているのだ。私にはわかっていた。私は、石手寺に泊まろうとしているのだ。正直に言えばそれは予定の行動なのだ。石手寺の通夜堂に泊まろうとしているのだ。そこに泊まるには、ちょっと勇気がいる、いや覚悟がいる。だから、もう石手寺に泊まるしかない、他に選択肢はないのだという状態に自分を追い込まなければならない。石手寺の通夜堂についての予備知識は特になかったが、意を決して泊まらなければいけない。そして、ちゃんと泊まって、お礼参りをしなければいけない。私はそう考えていたのだ。
私は、「渡らずの橋」の横の橋を渡って、すでに閉めた店の並ぶ仲見世(回廊)を進んだ。仁王門を右に曲がり、薄暗くなりかけた境内を本坊へと急いだ。

本坊の中には、二つ三つ明かりがついていたが、暗かった。「こんにちはー、こんばんはー、すいませ〜ん! 誰かいませんか?」と声をかけたが、返事はない。人の気配がしなかった。
やはり、電話するのいいと思い、スマホでかけようとしたが、電話番号を引っ張り出すまでに、意外に手間取る。 結局「黄色い地図」の一番後ろにある宿泊所などの一覧表を見て、それを打ち込んだ。そしてやっと電話したが、出ない。しばらくしてからまたかけ直したが、やはり出ない。ああ〜、どうなってるのだろう? なんか、ヤバそうな感じ…。
境内のどこかで、バーバー、バーバーという音がしていた。落ち葉を風で掃き飛ばすあの掃除機の音である。お寺の人はまだどこかにいるのだ。まだ望みはある。どんなことがあっても、もう泊めさせてもらわないと困る。私は近くにあった石に座った。というか、へたり込んだ。

本坊の前で、何分ぐらいが経っただろうか、薄暗がりの中から作務衣の人が現れた。お寺の人だとすぐにわかった。私は通夜堂に泊めさせていただきたいと必死で伝えた。作務衣の人は何も言わずに私を見ていた。そして、「こっちも、もうくたくたで…、大丈夫だから、ちょっと待って」と言った。まだ仕事というかお勤めが終わっていないようだった。作務衣の人はすぐにまた現れて、通夜堂に案内してくれた。ご住職のようだった。
「遅くすみません。」と私が言うと、「今日は、遅かったから会えてよかったなあ…」とおっしゃった。
通夜堂は、本坊より竹藪を抜けた奥で、こういっては悪いが、少々荒れ果てていた。
「よく真夜中に電話があり、何事かと思えば、寺の中で道に迷ったから、という人が時々いるから、気をつけて。」と言われた。ひとつひとつ道を確認しながら行ったが、もっともだと思った。
通夜堂につくと、「ここの2階だから。火は使わないように。あとはご自由に…。」と言われた。でも、そう言われても…、と思った。「初めてだし、どこでどう寝ればいいかもわからない。すみませんが、ちょっと案内してもらえませんか。」
広い学校のような階段を上り、2階の戸を開けると、なんと、驚くばかりに広い大広間が広がっていた。もしかしたら100畳近いのではと思った。所々に布団や卓袱台が置いてあった。もちろん今夜の泊まりは私1人だった。まず部屋の電灯のスイッチを探して明かりをつけるのに苦労した。陣取った窓際のテーブルのところだけ電灯をつけ、ビールを飲み、コンビニ弁当を食べた。窓の外には、それほど遠くないところにファミマが見えた。だから、寺の入口に近いところであることはわかったが、外へ出る気にはもうならなかった。薄暗がりの中で、ただボーと何かを考えていた。
寝るところのまわりだけほうきで軽く掃除して、一番きれいそうな布団を持ってきた。薄暗いから、正直言うとなにがなんだかよくわからない。とにかく早く寝ちゃうことだ。真っ暗な大広間の中は、静かだった。なんとなく、怪しげなものが、うようよ、うろうろしているような気がしないでもなかったが、屋根の下で、畳の上で、布団の中で眠れて、本当によかった。すぐに眠りに落ちた。

(つづく)
    (2021年6月・更新)



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