四国遍路秘帖 | Photo & Essay |
4月23日から5月21日まで、四国八十八ヶ所の歩き遍路に行った。昨年秋、通し打ちを目指して1番札所の霊山寺から43番明石寺まで打ったが、ここでギブアップしてしまった。だから、今回はそのリベンジというか、続きである。 愛媛県のJR卯之町駅をスタートし、44番札所大寶寺から88番札所大窪寺まで巡拝した。なんとか結願できたが、正直言ってキツくて、辛くて、大変だった。もちろん予期せぬ楽しいことやおもしろいこともいろいろあった。 コロナ禍の中でも、お寺は開いていたが、お遍路さんは極端に少なく、特に山の中に入ると歩き遍路とはほとんど会わないといってもいいくらいだった。宿や店は閉めているところもあった。静かといえば聞こえはいいが、なんとなく侘びしげな感じだった。“密”なんか、どこにもありゃしない。 (このホームページでは、まだ去年のお遍路のことが書き終わっていない。それなのに、また貯まってしまった。さて、どうするのだろう…。でも、少しずつ書いていくしかないか…。) |
(2021年5月22日〜更新) |
第1日目 (JR卯之町駅→遍路休憩所三好泊) お遍路の初日は、日程が定まっているし、あまりバタバタしないためにも、宿を予約しておくのが賢明なのだが、今回は最初から気が緩まないようにと、あえてテント泊の野宿を決めていた。 JR卯之町駅から約1時間ほど歩いたところに、ちょうど良い休憩所がある。すぐ近く、50mくらいのところにある三好自動車商会の三好さんという人がやっている。いわゆる私設の遍路休憩所だが、国道56号から1本東側に入った遍路道沿いにあり、静かで安心して眠れそうなところだ。 小屋の中に電話番号が書いてあったので、さっそく電話してみたが出なかった。自動車会社は上の写真の左側の道を50mほど行ったところだから、行ってみた。 「こんにちは」と呼んでみたが、返事はなかった。何か機械のようなものは音を立てていたが、人は留守のようだった。 夕方の6時を回っていたので、休憩所に戻って、泊まる準備をしていたら、おじさんがやってきた。なんとなく三好さんだなとわかった。泊めさせてもらうお願いをすると、快く了解してくれた。手には缶ビールが2本あった。「飲むかい?」と、1本勧められた。嫌いじゃないほうだから、ありがたくいただいた。早速ビールのお接待を受けるとは、なんか出来過ぎだぜ。 おじさんとしばらく話がはずんだ。この休憩所と庭園をもっと広げるのだそうだ。オイラよりはるかに年上なのに、元気があるなあ〜。体力というより、気持ちが前向きで行動的だ。庭園のどでかい岩も自分で運んできて配置したそうだ。スゴイ。うらやましいくらいだ。 心地よい酔いが回り、幸先の良い歩き遍路の初日になった。 |
第2日目 (遍路休憩所三好→鳥坂峠→十夜ヶ橋泊) 今日は、国道56号に沿って北上し、鳥坂(とさか)峠、標高470mを越えて大洲を通り、十夜ヶ橋まで行けば、約20kmは歩くことになる。だが、正直を言うと、十夜ヶ橋にはあまり泊まりたくなかった。車の騒音がスゴイのだ。なんせ橋の下だから。しかも国道56号の真下なのだ。御大師様も泊まったという野宿が唯一公認の霊場、修行場なのだから、泊まりたくないなどと言ったらバチが当たるだろうが、やはり騒音が半端ないのだ。耳栓なしには眠れない。だが、下の写真を見ればおわかりの通り、結局ここにまた泊まることになってしまった。 少し手前にある「ポケットパーク札掛」では時間的に早すぎるし、近くの店が軒並み閉店していた。「まちの駅あさもや」は街中で狭くて人が多すぎた。ただで泊まれるところを見つけるのも楽じゃない。 |
写真の右側の道が国道56号。右へ真っ直ぐ上がって行けば鳥坂墜道(1117m)になる。トンネル内は狭いが、だいぶ楽ができる。前回はなぜかこのトンネルをくぐっている。だから今回は峠道を行かねばならない。 ここが分かれ道で、 |
第3日目 (十夜ヶ橋→千人宿大師堂泊) 十夜ヶ橋からは、国道56号、JR予讃線に沿うようにして内子に至り、そこからは国道379号に入り、肱川の支流の小田川、さらに吉野川に沿って久万高原の44番札所大寶寺を目指す。43番明石寺からは約85kmあり、四国遍路中、2番目の長さがある。 前回は、前日までの大雨の影響があり、少しでも安全な農祖峠(のうそのとう)を越えたが、今回はメインルートといえる山の中の鵯田峠(ひわたとうげ)を越えようと考えていた。このルートには宿や店がほとんどない。最終コンビニは内子の町中のサンクスか道の駅「内子フレッシュパークからり」になる。食料はおよそ2日分持たなければ安心はできない。 さて、どこまで歩けるか、いろいろプランを練ったが、結局は前回と同じ、千人宿大師堂までとなった。でも、約20kmは歩いたし、着いたのは夕方4時45分だった。 だが、予期せぬ大変なことが起こった。千人宿大師堂の扉には、白い紙が貼られていた。そこには、「当分の間、宿泊できません。 管理人」と書かれてあった。 ああっっっ! “Oh, my God!” まったく予想していなかった。考えてもみなかった。だって、ここは最強、最高、最良の善根宿なんだから…。だからか、オイラはあまり慌てなかった。もちろん困ったなあ〜とは思ったが、落ち着いていた。向かいのやなせうどん(山本商店)へ行った。 「こんにちは〜!」 しばらくしたら奥から、奥さんが出てきた。オイラは、まず2年前の秋に泊めさせていただいたお礼を述べた。そして、そのときもらった柿がおいしかったことを、ちょっと大袈裟にほめた。 そして、おもむろに、「泊めさせてもらえませんか?」と頼んだ。奥さんは、「こういうことになっているんですよ。」と言ったが、一瞬考えて、すぐ、「いいですよ。」と言ってくれた。「鍵はかかっていませんから…、どうそ。」 あああっっっっっっ! 良かった。オイラはまた助けられた。2年前と同じだ…。2年前は着いたときはもう薄暗くなっていて気がつかなかったが、ここは商店で、食料品を売っているのだ。ビールもある。もちろんうどんもある。ここは製麺所なのだから。お礼の気持ちも込めていろいろ買った。買いまくった。 買ったうどんを作って出してくれるという。そこまでしてもらったら悪いと思ったが、お言葉に甘えた。しばらくしたら、持ってきてくれた。卵もわかめもきんぴらもネギも入っていた。温かくておいしかった。涙が出そうになった。 2年前、薄暗がりの中で柿の出荷作業を黙々としている奥さんは、痩せて疲れているように見えた。だが、それは私の単なる見間違いだったことがわかった。小柄だが健康そうでぽちゃぽちゃとした顔の人だった。余分なことは何も話さなかった。 大師堂の中はきれいに掃除されていて、布団にも洗濯したての掛布や敷布がかけてあった。ちゃんとお経を上げてお参りした。畳の上で気持ちよく眠れた。ありがたいことだ。 翌朝、旦那さんが、御大師さんにお茶を上げにきた。「親父も毎朝やってましたので…」と言った。立派なことだ。 私は出掛け際に、秋になったら、柿を注文しますからよろしく、とお願いした。 |
(写真の左側の通り、中央が大江健三郎の生家。「大江」の表札がかかっていた。大瀬地区は内子町の町からは8kmほど離れているが、ここはまさに遍路道沿いである。かつては交通量も多く、栄えた町並みだったことが想像できる。もっと山の上の豪農のような家だとばかり勘違いしていた。何かの小説の舞台からそんなイメージで思い込みをしていたようだ。だが、昔からこんなきれいな感じだったのだろうか? ちょっと気になる。 『個人的な体験』を薦められ、夢中になって読み、友と真剣に議論した頃が懐かしい。すでに大江健三郎も86歳である。) |
第4日目 (千人宿大師堂→鵯田峠→道の駅 天空の郷さんさん泊 今日は、いよいよ鵯田峠(ひわたとうげ)を越えて久万高原まで行く。距離は22kmほどだが、山道の登り下りが2回ある。標高570mの下坂場峠と、標高790mの鵯田峠である。 道は突合(つきあわせ)というところで大きく左に曲がる。手前にも1本広い道があるので、本当にこっちでよいのか不安になる。しばらく行くとシャワーのあることで有名な「ヘンロ小屋38番内子」がある。ここにはテントの人が泊まっていた。薄いモスグリーンのテントはどこかでも見たような気がした。だが人は出てこなかった。??? しばらく休んでいたら、1人の歩き遍路がやってきた。今回会う初めての歩き遍路だ。かなり荷物を背負っていたが、歩みは確かだった。あいさつして、なんとなく気さくに話をした。日焼けした顔に白い山羊髭が印象的だった。 このコースの途中で、食事のできるところは国道379号沿いの「なみへいうどん」1ヶ所だけで、しかも営業時間が昼前後だけときている。店に着いたのは9時半だった。先ほど会った歩き遍路も来た。開店は10時からだった。うどんも食べたかったが、おにぎりを買って出発することにした。もうてっきりできているものを持ってくるのだと思ったら、作って持ってきてくれた。お手数をかけて申し訳なかった。ここのおにぎりはすごくおいしい。しかも、安い。3個買って正解だった。 道は落合トンネルを出たところで、右に曲がる。左というかまっすぐは砥部町へ行く。先へ行ったお遍路さんの姿が見えなくなっていたので、道を間違えてまっすぐ行ったのではと心配したら、なんのことはない、角のバス停の中で、休むとも待つともなく静かに座っていた。多分、私が道間違いをしないように、待っていてくれたのかもしれない。 この後、道は徐々に上りとなり、三嶋神社を経て下坂場峠、鵯田峠へ向かう。彼にはもう追いつけなかった。 久万高原の道の駅天空の郷さんさんに着いたのは、夕方5時40分だった。特に食事や大休止をしたわけではないのに、遅い。それにしても遅すぎる。まっ、いいか…。 道の駅内にテントはなかった。私のお目当ての一番奥の東屋は空いていた。道の駅の中を一通り見て、やはりここにテントを張ることに決めた。道路や建物から離れているからまあ静かで、屋根があるから万一雨になってもまあ大丈夫だからだ。 テントを張り終わって、ビールを飲み始めたころ、昼に会ったお遍路さんがやって来た。どこかで食事をしてきたようだった。久万高原は観光地だから、食堂やレストランは結構ある。 彼は前回来たときは隣のパン屋の店先のテントの下にテントを張ったそうだ。いい度胸をしている。オイラにはそこに張る勇気はない。 「狭いけど、こっちの東屋に張ってもいいですよ」と私がいうと、彼は少し迷っていたようだが、結局私の隣のベンチの向こう側にテントを張った。1番から歩いてきたそうだ。 歩き遍路どうしの場合、話はどうしても明日どこに泊まるかになる。特にテントの場合は、大事だ。私はまず44番大寶寺を打って、45番岩屋寺から打ち戻って、古岩屋荘の隣のバス停東屋に泊まることにしていた。そして、そろそろ風呂にも入りたいし、古岩屋荘の温泉はすごくいいよと勧めた。館内にはビールの自動販売機もあることを言うと、彼はニコニコ笑っていた。 夜中に寒さで目が覚めた。久万高原は寒いことで名が通っている。いや、トラックがアイドリングしたまま停まっていた。これはいただけない。音が気になり、耳栓をした。 (つづく) |
第5日目 (道の駅 天空の郷→44番大寶寺→45番岩屋寺→古岩屋荘の隣のバス停東屋泊 今回も大寶寺は朝参りになってしまった。天気は晴れ。通り道にある於久万大師堂をお参りして、大寶寺へは2kmほど。鬱蒼とした杉や檜の林の中を通り、仁王門をくぐる。長い石段の横には、赤いシャクナゲの花が咲いていた。今回最初の札所だから、鐘も撞いた。鐘はお参りの前に撞く。お参りの後に鐘を撞くのは、戻り金とか、出金(でがね)といって、縁起が良くないとされている。では、撞く回数は何度が正しいのだろう。2度だとばかり思っていたら、1度にしてくださいと書いてあるお寺があった。正しい作法は、1度なのか、2度なのか、いまだによくわからない。 大寶寺から45番岩屋寺へは、まず裏手の山に入る。そのことは知っていた。だから気をつけていた。気をつけ過ぎて、早く左の山道へ曲がってしまい、見事に道を間違えた。そこに道標はなかった。20分ほど上ったら山道がやけに急になる。これは間違えたかな思った。しかしせっかく登ったのだから、今に道路に出るだろうなどと根拠のないことを考えていた。寺の水源のような貯水槽まで来てしまった。ここまで来てやっと道を間違えたことを認めて、しぶしぶ引き返した。元来た道まで下って、20mほど真っ直ぐ歩いていくと、なんのことはない「岩屋寺↑」と大きく書かれた道標があった。30分くらい“損”をした。そう思った。まだまだだな…。 |
峠御堂(とうのみど)という標高715mの峠を越えて下ると、峠御堂トンネルの出口で県道12号線に合流する。今回は時間がありそうだったので、県道から急な斜面を下り、古くからの河合の宿場を通って住吉神社に出た。明治30年ころには河合には15軒くらいの遍路宿があってにぎわっていたそうだが、今はその面影もない。 そのかわり、住吉神社の向こうには、何軒もの民宿や旅館が点在している。そこを通って、八丁坂(標高730m)を登ることにした。尾根の最高地点は標高760m。岩屋寺へ裏山から入るようになるが、昔から修験者や巡礼者は、俗界から離れたより険しい山道から修行に入ったという。 今回は、本堂横の真っ暗な穴禅定に入った。 帰り道に通った表参道の店は、1軒もやっていなかった。県道12号線ではなく、直瀬川の川岸を行く遍路道を歩いた。川岸には、ちょうどキシツツジが満開だった。 国民宿舎古岩屋荘の隣にあるバス停東屋に着いたのは、夕方の5時20分だった。相変わらず遅い。すでに昨日から道の駅でいっしょだった歩き遍路さんがテントを張って、ビールを飲んでいた。彼はだいぶ早くに着いたようだった。 まずテントを張り、古岩屋荘の温泉に入りに行った。館内は静かだった。帰りにビールを買ってきた。ビールはちょっと高いが、こんな近くに両方あるなんて、最高だ。 |
(2021.05.更新) |